破壊と創造

学生時代も独学中もテレビでもドラマでもラジオでも漫才でも散々聞いた言葉だ。安っぽく、軽薄で、誠意が無く、とても嫌いだ。

僕は今日、Twitterのアカウントを破壊して、ブログ記事を制作した。理由は(おそらく)堪え難くなった仕事のストレスだ。

この行為の後僕はどうなったか。とてもとてもスッキリしたのだ。ストレスに苛まれた末の衝動しての破壊と創造は、形がこんなに現代的チープさであっても僕の心を幾分軽くしてくれた。

これは、指を必要以上に動かし血の巡りがよくなったから脳に酸素が行き渡り結果ストレスが軽減された。という事ではないだろう。シナプスがスパークした電撃でストレス回路が強制的に焼き切られたという方が正しいくらいの気分だ。

 

美術、デザイン、あらゆる創作を生業にする人達なら一度は考える。なぜ自分は作るのだろうと。ある人は誰かを救うからと言い、ある人は理由なんかないと言う。実感の重みのある言葉を吐く人もいれば、明後日の方向を見つめたまま語る人もいる。

しかし今日僕は強烈に実感した。救われているのは僕なのだと。

僕は僕のストレスを解放する為に制作をしているのだ。

人の営みを快適にする。その為にデザインというテクノロジーを使う行為が自分の心を満たすのだと、そう語った事は幾度となくあるが、しかしあくまで推測であり、今まではその感情を捉まえてはいなかったのだ。(今回、僕が僕の為にただ制作をする というこの姿勢がそれを今までになく判り易くしたのかもしれない。)


僕は、自分で起こした発見は全てイリュージョンだと思っている。一時の幻想であり、また新たな幻想でこの感情が発見が包み込まれる日はまたきっといつか来るのだろうと思う。

しかし、それはそれで楽しみにしていようと思う。

僕は僕の発見を破壊し、新しい発見を創造する事で日々を暮らしていけるのだから。