文学と演劇
ハムレットにおける、生きるべきか死ぬべきかの独白〜尼寺へ行け!
までのパートは、陰で国王とポローニャスが聞いている。
それをハムレットは知っていたか?あるいは知らなかったか、途中で気付いたか、
という問題がある。
これが問題として完璧に成立するのは文章上であって、舞台ではその限りではない。
ハムレットのちょっとした目配せ、台詞、あるいは 間の取り方 で表現する事ができる。
文章より舞台の方が情報量が多いのは明確である。
情報量が多いという事は、考える余地は減るということ。余白が少なくなるという事。
間の持つ力は面白い。
読書のスピードを筆者は制限できない。しかし舞台上であれば可能だ。
2時間であればその2時間、観客を拘束し、感受性のタイムラインを体感させる事ができる。より具体的に。
間を使った表現、間が恐怖を演出し、涙を誘い、笑いを起こす事も出来る。
間、そのものには何もない。静寂であり、停止にほぼ同じ。
何も無い事によって、その長さによって何かを表現する事が出来る。
空白で観客の想像力をブーストさせる。
情報量は増え、考える余地は減らされた舞台上での突然の空白、
一瞬で観客の思考は強制的に解放され、突然(のアクシデント)故にその打開策を”条件反射で”見つけようとする
そういった、思考の可塑性を利用し強制着火させる仕組みが、間、の表現なのではないだろうか。