コミュ障認定

f:id:migiteoyayubi:20140824074049j:plain

コミュ障には2種類ある。

1、誰ともコミュニケーションがとれない。相手が誰であれ考えている事が読めない。合わせられない。
2、特定の人、グループと話ができない。


常識的な会話とはなんだろう?
誰とでも話が出来る人はいる。しかしそれは”常識的会話というルール”を熟知している人が卓越しているスキルでしかない。
この場合の常識とは、母数の大きさである。
人は当然、日常的に自分が一番話し易い話し方、内容を話す。
社会において、より人口比率の大きい共有言語、文法、話法を知っている人程それを
自然に使う為、そこから離れている人、その共有言語を知らない人は、コミュニケーションがが上手くとれず混乱する。
これがコミュ障、が発生する最大の理由の一つだと思う。

また、現代はネットの影響か趣味、個性の細分化、コミュニティ化が進んでいると感じる。社会の共有言語を使わずとも、自分と似た文法をもっている他人と関わり易くなっているのだ。
結果、個人は各々のコミュニティにおける共有言語を蓄積し、それが各々の常識的会話になっていく。

よって、コミュ障と言われる人間は最も人口の多い”常識的会話というルール”のルールブックを読まず、知らないままそのゲームに上がったとき、身動きがとれなくなっているだけなのだ。

これは、初めての会話で起き易い気がする。例えばTwitter

本人は冗談でリプライを飛ばしても、冗談と受け取ってもらえないケースはよく見かける。(余談だが、目上に冗談を飛ばすのは失礼だと昔よく怒られた。あれは、目上の常識に合わせるのが当然という事だったと今気付いた。)
これを端で見ていると、感想は二つだ
こんな冗談もわからんのかいw か それは冗談にならないだろ...  だ。
どちらが正解という話ではなく、最初からどちらも正解なのだ。


コミュ充と呼ばれる人達は、どこででもコミュニケーションがとれるような人種に思われる。なぜか。
それは、彼らが自分の得意とするコミュニケーション方法に相手を乗せるのが上手い為で、コミュニケーションにおける万能スキル保持者だから、ではないと思う。(当然そういう人もいるだろうが)

ややこしく色々と書いてみたが、しかし笑顔や挨拶、身振り、言葉の音程や強弱の使い方など、普遍的に人が心地よいと思う対話方法もやはりあるのだと思う。

そういった、流行り廃りのある”常識的会話スキル”ではない、より普遍性の高いコミュニケーションスキルを少しずつ身につけていけたらと思う。

まずは腹式呼吸の練習から初めてみようか。